初期キリスト教徒の隠れ家・教会群
エフェソス遺跡 (AD1世紀にキリスト教が浸透した)  解説  (以下記録 近藤兄)
昔年の華やぎを感じさせる。当時の人口は20万人。西暦紀元1世紀の世界人口が約2億人であることを考えると、その当時は超大都市であった。写真には聖母マリヤの家 (伝承)、アルテミス神殿、クレオパトラが歩いたアルカディアーネ通りをおさめた。ギャラリーに見られる、道の表面に出た割れた土管の並びは、当時の下水施設である。また石で作ったトイレの並びは、水洗トイレである。現代と変わらない生活様式が伺える。1世紀にキリスト教がこの地方を中心に浸透した。パウロが伝道の為に来訪し3年間滞在した結果の実りである。パウロはシリアのアンテオケから実に陸路1000kmの地を伝道旅行していたことになる (第3次伝道)。パウロの第2次・第3次伝道旅行の往きはギリシャまで片道3000kmを徒歩で陸路をとり、帰りは海路でエルサレムへ上った。バスで陸路の一部の2000kmを走りましたが、途中四方が地平線しか見えない場所は初めての経験でした。「パウロの偉大さと神の導きがあってこそ」と痛感しました。(ガラテア書、エフェソ書、コロサイ書、フィリピ書、テサロニケ書Ⅰ・Ⅱ、コリント書Ⅰ・Ⅱ) なお、4世紀初めにキリスト教がローマ帝国の国教となり、町はキリスト教センターになった。15世紀のオスマン帝国時代にマラリア大発生により、町も港も衰退した。.

パムッカレ (AD 2世紀ローマ帝国の都市 ヒエラポリス)   解説
有名な石灰棚の温泉のあるところ。古代都市名はヒエラポリスで、12使徒のひとりであるピリポが殉教した地と伝えられている。.

カッパドキア (初期キリスト教徒の隠れ家)   解説
巨大なペリバジヤ (妖精の煙突) のギョレメの谷は、南西のハッサン山の火山灰と雨で作られた奇観である。ローマ時代の後期に、キリスト教徒の住民に対する皇帝の弾圧を逃れて、蟻の巣のような住居が作られた。ガラテア書の時代である。続く7世紀にアラブ・イスラム勢力から逃れたキリスト教徒たちによって、洞窟教会や地下都市が作り足された。地下都市は地下8階まである。上層は初期キリスト教時代、9~10世紀と時代が進むにつれて下層に堀り加えられていった。16世紀にオスマン帝国が興ると、キリスト教徒はギリシャ等に去り、この地方のトルコ化が進んだ。30余りの岩窟教会 (ギョメの教会群) の入り口は目立ちませんが、対照的に内部のフレスコ画は鮮やかである。11~12世紀の作品が多い。.

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エフェソスの遺跡、ヒエラポリスの遺跡 (パムッカレ) 石灰棚の温泉 (カッパドキア) ギョレメの奇観と岩窟教会や鮮やかなキリスト教のフレスコ画 (カッパドキア) はギャラリーを楽しんでください。
なお 解説 には、4世紀にカッパドキアに在住していた神父たちは、初期キリスト教哲学にとって不可欠な存在であったと記されている。

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役に立つ図書 1. ジャン・ダニエルー著 上智大学中世思想研究所 編訳/監修、 キリスト教史1  初代教会 (平凡社1996) pp19-138. 使徒以後のイスラエル、シリア、トルコ半島、ギリシャ、エジプト、ローマの教会の相互関係と発展の姿を史料と多数の研究成果に基づいて解説している。 2. 服部英次郎、V キリスト教と教父哲学、岩波講座 哲学XVI 哲学の歴史I  pp237-297. キリスト教の初期の発展の経緯が明晰な筆致で説明されている