どうして、またどのような経緯でクリスチャンとなったか
私は今年5月16日、満74歳の誕生日を迎えた。地球というこの星に生れてから、30,000日になんなんとする日々を生かしていただいたことになる。一帯を山と田んぼで囲まれた和歌山の一寒村であったが、豊かな大自然と人々の大きな愛に恵まれて育った。家族は、農業を自営する両親と姉弟6人で、戦後ということもあって食事時はさながら早い者勝ちの競争だった。そんななかで幼い頃からの私の関心事は、もっぱら大宇宙に向けられていた。家族が寝静まった頃、独り縁台に寝そべって満天の星を眺めて空想しているのが好きだった。「僕はどこからきたのだろうか、そしてどこへ行くのか? あの星々にも生物はいるのか? なぜ地球は自転しながら宙に浮かんでいることが出来るのか?」等々から始まって「人間とはそもそも何者か?他の生き物とどこが違うのか? 人は死んだ後どうなるのか?」等々に至るまで、いろんなことを好き勝手に、夜の更けるのも忘れて思い巡らしていた。

そんなふうに姉弟の中でも一風変わった子供であったようだ。スウエーデンの宣教師が路上紙芝居に来た時なども、集まった子供達の中で私が一人ではしゃいでいたそうである。紙芝居の主人公はもちろんイエス・キリストである。話が終わるとチューインガムをくれるので、それを目的に集まってくる子達もいた。サンキューというと頭を撫ぜてくれる宣教師の手の感触を今でも覚えている。最後は、外人特有の訛りのある日本語で賛美歌を教えてくれるのであった。

「♪主はこどものたーめ、十字架に懸かり・・・・♪世界の国のすべてのこどもらを主イエスはひとしく愛す♪・・・・」なぜか70年経った今も不思議とメロデイと歌詞が耳に残っている。我が家の宗教は浄土宗で、お寺とお坊さんとしか縁のなかった私が、どうしてキリスト教の洗礼を受けるにいたったのかは、自分でもよくわからない。これだという決定的なことは見当たらないのである。正確を期して云えば、これまでの人生の中の出来事ひとつひとつが神様によって予定されていた道程としか云いようがないのである。

クリスチャンの少ない日本だが、これまで私は多くのクリスチャンと出会う機会があった。30歳過ぎても結婚する気配のない私を見かねて、母が知人に頼み込み、紹介してくれた家内も、後で知ることになるのだが、クリスチャンだった。高度成長時代の典型的な会社人間だった私は、その頃は夜も徹して働く忙しい部署におり、家もなし、金もなし、暇もなし、と具体的に結婚のことなど考えていなかった。ただ結婚するなら相手はクリスチャンがよいと漠然と思っていた。最初の出会いから数回会っただけで、三ヶ月後に新婚生活をスタートさせた。日曜日は礼拝に出席する家内を教会まで送るのだが、中に入ることなくそのまま家に帰っていた。その後、説教を聴くようになってからも、会社の仕事や同僚とのゴルフの付き合いがある場合には、それにかこつけて欠席していた。そんなこんなで、洗礼はいずれ受けるつもりでいたのだが、なかなか切っ掛けが掴めないままで日が過ぎていった。 

ある時、私の心を見透かすような作家・加賀乙彦の文章に出会った。「いずれそのうちに洗礼を受けるという気持ちのままでいるのは、美しい富士山を麓から眺めているだけのようなもの。先ず第一歩を登りかけることが重要で、それが洗礼を受けるということだ」という文を読み「そうだ55歳定年制で以前なら退職している年齢なのだ。55歳の今が洗礼を受けるべきタイミングだ」と決断して牧師に申し出た。牧師は、私の性格を熟知している家内から、自ら申し出るまで絶対に勧めないよう頼まれていたためか、素直に受け入れてくれた。教会員のみなさんも喜んでくれたけれども、誰よりも喜んでくれたのはやはり、この日の来るのを陰で祈っていてくれた家内だった。

スイスにボーレン先生を訪ねて

つつがなく会社生活を卒業した2006年6月22日~6月30日、私達は、結婚後初めての海外旅行に出掛けた。家内の念願であった、憧れのスイス・グリンデルワルドへ、敬愛する神学者ボーレン先生を訪ねる旅である。アポイントもとらずの無謀な行動だったにもかかわらず、奇跡的にボーレン先生に直接お会いすることができた。ボーレン先生はグリンデルワルドの出身で、ドイツ・ヴッパータール神学大学教授、ハイデルベルグ大学神学部教授、そして日本では、東京神学大学客員教授もしておられ、著書「天水桶の深みにて(加藤常昭訳)」は家内の愛読書である。そんな大先生にもかかわらず、アポイントもなしに押しかけた日本の一読者を別荘で奥様手製のケーキと紅茶で歓待してくれた。私達は大いに感動した。その思い出話は6年経った今でも尽きることがない。

私は最近、誤って転んで、右手首を骨折した。5週間ギブスをしたままの生活のなかで、「治療してくれるのは医者、癒してくれるのは神様」という西洋の諺を実感することができた。人が外から手を加えずとも、私達を創造してくれた神様が内から癒してくれているのをひしひしと味わうことが出来た。

朝夕、「主の祈り」と「ニカイア信条」の後にキリスト教関係の書物を読むのを日課としている。 神様は私達人間を、神様を崇め賛美する存在として創造してくれたのがよく実感できる。神に仕え、崇め、賛美するために生きる(トウルーナイゼン)。わが生涯をかえりみて、すべての事を恵みと感じる。また前途には、永遠の生命の国が待っていてくれると思うと大感謝である。パウロのテサロニケの信徒への手紙一の5章16節「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことも感謝しなさい」 は私の愛誦聖句である。普通は、聖書の言葉がどこに書いてあるかを覚えていないが、この箇所だけは例外である。私の誕生日と同じ数字の並びだからである。


 スイス旅行の手記 「憧れのスイス」 副題-主の見えざる御手- 今西道子 記